このあいだ、京都に旅行に行ってきました。
京都と言えばお寺巡り
京都のお寺がいくつあるのかは詳しく知りませんが、1600~1700か所もあるんだとか。
いくつかのお寺には、何度も訪れていてもなんだか行きたくなる「洗練された美しさ」があります。新緑の季節には、お寺の庭の美しさもより一層際立ちます。今回の旅行でも多分に漏れず、京都のお寺をいろいろと巡ってきました。
そして、あるお寺を訪れたときにどうしても気になったことがあったので、こうして記事を書いています。それは、タイトルにあるように「写真映えに媚びる姿勢」が見られるお寺があったことです。
ある寺を訪れた時
家族4人で、京都の「ある有名なお寺」を訪れたときのことです。
(分かる人にはどこのお寺のことなのかわかってしまうかもしれませんが、一応名前は伏せて紹介させていただきます。名指しでそのお寺をディスるために書いているわけではないので…。)
そのお寺は、写真撮影はOKのところでした。(三脚やフラッシュの使用は禁止と書いてありました。)そして、入場料がまさかの2,000円。なぜこんなに高価なのはわかりません。それでも、お寺の中に入ってみるとものすごい人の数。こんなに高価でも、大人気なんです。
入り口の時点で、かなりたくさんの観光客が溢れていたので、少し嫌な予感はしていたのですが…やはりその予感は的中しました。
写真撮影に必死になる人達
お寺のある最も美しい目玉スポット(イチバンの撮影スポットでもある…。)に差し掛かかったとき。そこは、写真撮影に必死になる人たちが溢れかえっていました。
写真撮影に最適な場所を取りあう人たち、ベストな角度を求めて畳床に這いつくばる人たち、沢山のスマホから鳴り響く「カシャッ、カシャッ」「ピコッ、ピコッ」という電子音の洪水、その人たちを整備?しているお寺の人の「撮影終わりましたら、場所をお譲りください~」という無気力な声、遅々として進まない人混み…。
そこの目玉スポット自体はすごく綺麗なんです。…でも正直、この状態で「美しさに感動」することなんてできない、と思いました。
そして、そのお寺はそんなに大きな場所ではないので、撮影している人達の邪魔にならないようにするのが本当に大変でした。
とにかくそこらかしこにカメラを構える人がいるので、鳴りやまないシャッター音に囲まれ、その人達の写真のフレームに入らないように気を使ったり、ときには「(写真邪魔して)すみません」と謝り。
そのお寺から出たとき、わたしたちはなんだかゲッソリと疲れ切っていました。
写真映えに媚びる姿勢
そして、そのお寺はなんとなく「写真映えに媚びている」ように感じました。写真やSNSの拡散力の力をわかっている、というか。お店やレストランならそれも一つのマーケティングだとは思うんです。でも、お寺でそれをやるとなんだか違和感があるというか。
そしてそこは、その景色だけでなく建築などの見どころは沢山あるのに、そこはほとんどの人にスルーされているのがもったいない。それに、もっとお庭をゆっくり楽しんだり、静かに見学したかった。
「お寺って、本来何をするところなんだっけ?」って思ってしまいました。
実際、そのお寺には「写真を撮るために来ている人」が溢れかえっていました。そのスポットの撮影が終わったらさっさと帰る人がほとんど。
そこは、「写真を撮るためのお寺」でした。
寺もビジネス
今回の経験から強く感じたのは、「お寺もビジネス」ということ。
このお寺、ものすごく写真映えするお寺なんですよね。インスタにも沢山の写真が投稿されています。だから、その特徴を生かして集客するのはビジネス的には正しいと思うんです。
ただ、「いい景色のスポット」としてはビジネス的にOKですが、お寺としては微妙すぎました。
一見さん用の寺
そして、「このお寺は一見さん用だな」って思いました。
つまり、「一度見てみたい・写真を撮りたい」という観光客のためのお寺であって、リピートする人はほとんどいないだろう、と。(だって拝観料も2,000円ですし。)
それに、あの経験を通して、カメラを持っていない人はどれだけ満足できるのだろう、と思いました。あそこはもう、「カメラを持っていないと楽しめないお寺」になっていました。
とりあえずわたしは、あのお寺には二度と行かないと思います。(そのお寺にとってはわたし一人が行かなくてもどうってことないってことは、もちろんわかっています。)
お寺から出た後にゲッソリ、そしてがっかりしたのは初めてでした。写真撮影が禁止にならない限り、あそこには「お寺」にあるべきものがなくなってしまっていると思うのです。
写真映えは正義か
「写真映え」や最近では「インスタ映え」をキーワードにしたマーケティングはあらゆる分野で行われています。例えば、レストラン、カフェ、サービス、イベント、お土産、化粧品、などなど。
最近はその傾向もさらに顕著で、「視覚の刺激」が魅力の全てになってしまっている(そう思われてしまっている)気がします。でも、すべての分野でその集客方法が適用されるのはどうなんだろう、と思いました。
例えば今回のような「お寺」。心を落ち着かせて、聞法をして、憩いの場となるべき場所であるお寺では、あえてその流れに乗らないというのも一つの方法なのではないか、と。(というか、本来の目的のためそうであってほしい。)
それに、インスタに投稿された写真を見て、「行ってみたい!」と思う人がいても、実際に行ってみたらガッカリ、というのでは本末転倒だと思います。
まとめ
…なんだかグチっぽい記事になってしまいましたが…。(すみません。)
それでも、ああいうお寺が増えたら残念だな、と思い、綴ってみました。
お寺は、「視覚的な魅力」はあっても、「インスタ映え」に媚びなくてもいいよ!って思う出来事なのでした。