ジブリ考察

『風立ちぬ』菜穂子のかわいい所・怖い所を、女性目線で考察する。

風立ちぬの菜穂子の考察

ジブリの『風立ちぬ』のヒロイン、菜穂子(なおこ)。

宮崎駿監督が手掛ける、「最後の」長編アニメ映画として公開された『風立ちぬ』に花を添えてくれる菜穂子ですが、とても考察しがいのあるキャラクターです!

今回は、この菜穂子というキャラクターについて徹底的に「女視点で」考察します!

菜穂子はかわいい!ジブリ史上最強のヒロイン

さて菜穂子ですが、ふつうに何も考えずに映画を見たらみんなの感想(とくに男性陣)はほぼ一緒。

かわいい!!!!!まず、ルックスがめちゃくちゃいいです。

菜穂子

とくに黒川邸での結婚式の時の美しさは、素晴らしい。

少女期のかわいらしさ+大人の魅力も楽しめるヒロイン

菜穂子の初登場シーンは、列車に乗っている際、風でかぶっていた帽子を吹き飛ばされ、危ないところで二郎に「ナイス・キャッチ」してもらうところ。


その後関東大震災が発生しているため、時代は1923年(大正12年)だとわかります。

この時、菜穂子はまだ子供です。公式パンフレットによると、「二郎と菜穂子の年齢差は約7歳」とあるため当時二郎が20歳(大学生)だったことを考えると、菜穂子は13〜14歳です。

菜穂子 風

その後、二郎と菜穂子が運命的な再開を果たすのは、その10年後の1933年(昭和8年)。二郎が30歳、そして菜穂子が23〜24歳の時です。

菜穂子は女性としてとても美しく成長し、最初、二郎は「あの時の少女」だとは気づかないほど。

その翌年の1934年(昭和9年)に、二人は黒川邸で結婚式を挙げ、

さらにその翌年の1935年(昭和10年)に菜穂子は黒川邸を去ります。

…というわけで、この映画の中でわたしたち観客は、13歳ごろ〜25歳ごろの菜穂子を見られるわけです。

13歳ごろの菜穂子は、ただただ無邪気で可愛らしいだけでなく、風で飛ばされた帽子を二郎に拾ってもらった時、とっさにフランス人作家、ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』という詩から「Le vent se lève(風が立った)」という一節をフランス語で引用します。

ここで、菜穂子が相当しっかり教育を受けた教養ある「お嬢様」であること、そしてさらに、相当に頭の回る賢い少女であることがわかります。さらに、若干マセたところもありますね。

13歳の頃の菜穂子はほんの少ししか出てこないのですが、短いシーンでもとても魅力的な少女として描き出されています。

その後、10年後の再会以降の菜穂子の美しさは説明不要ですね。

主人公の二郎に尽くす「理想の女性」像

さらに映画をさらっと見れば、菜穂子の印象は「病身でも健気に次郎を想い、尽くす女性」。

二郎と菜穂子

男性にとっても「女性にはこうあってほしい」というロマンの塊のような存在に見えます。

主人公の堀越次郎は実在した人物ですが、ヒロインの「里見菜穂子」は実は架空のキャラクター。堀辰雄の小説『風立ちぬ』に登場する節子(せつこ)と、小説『菜穂子』のヒロインのミックスです。

節子は、堀辰雄の実際の恋人だった「矢野綾子」という人物がモデルになっていて、彼女は実際に結核を患い、堀辰雄と共に病と闘いながら、療養所で亡くなっています。そう、ジブリ映画『風立ちぬ』の菜穂子と同じ最後ですね。

ただ、堀辰雄の小説の「節子」と、ジブリ映画の「菜穂子」は、性格が全然違います。「節子」は無口で、どちらかというと流れや成り行きに身を任せる性格。主体性や行動力はあまりなく、ヒロインではありますが影が薄めです。

そこで、小説『菜穂子』に出てくる主人公「菜穂子」の性格や行動力を採用したのかな、と思います!小説『菜穂子』の「菜穂子」も結核を患って八ヶ岳山麓の療養所に滞在するのですが、「菜穂子」はジブリ映画と同じく衝動的に療養所を抜け出すなど行動力もあります。

宮崎監督お気に入りのいろんなジャンルの作品のイメージを重ねた結果、生み出された女性なんです。

「菜穂子」というヒロインを生み出した宮崎駿監督自身も、この菜穂子には相当思い入れがあったようです。

最後には亡くなってしまう菜穂子ですが、実は宮崎駿監督、映画制作途中で感情移入しすぎたのか「菜穂子を死なせたくない!!」と言い出したんです。

作画監督の高坂希太郎さんが、インタビューで語るエピソードがあります。

高坂:
あのラストシーンは、実は、作っているうちに宮崎さん、「菜穂子は死なない」とか言い出して。

―菜穂子に対する思いれが強くなって、生かしたくなってしまったのですか?

高坂:
ええ。いつもそうなんです。『もののけ姫』だって、最初エボシは死ぬはずだったのに死ななくなっちゃったんですから。でも、それだと全然尺が足りなくなってしまうし、だいたい第二次世界大戦に突入して自分の飛行機が特攻に使われているのに、一方で二郎は菜穂子とイチャイチャしているなんてことになってしまいますよね。「より諦観を強調するなら菜穂子との生活を入れたらダメだと、やはり原作通り死ななくてはダメだ」と言ったんです。ところが宮崎さんは、「菜穂子が死んでしまったらもう出てこなくなってしまう」と。それで、「じゃあ、カプローニと一緒に出せば良いじゃないですか」と言ったら、その意見を使ってくれたんです。

参考:『風立ちぬ』 (ロマンアルバム)ムック

「菜穂子が死んでしまったらもう出てこなくなってしまう」って…!菜穂子のこと好きすぎる😂😂

そんなわけで、菜穂子は「宮崎駿的にも、とてもお気に入りのキャラクター」なわけです。

ただ、宮崎駿監督は自分自身の女性の好みや、理想像をキャラクターに押し付けるだけ、という浅はかなことはしません。そんなことしたら、女性視聴者は若干引くし…笑

きちんと菜穂子…というか、宮崎監督が考える「女性の怖さ・あざとさ・計算高さ」なども、菜穂子を通して描き出しています。

菜穂子は「怖い女」?

さて突然ですが、菜穂子はなかなか怖い女です。笑

それは、作中でもしっかり意図的に書き出されています。

主に「再会」の時にその本領が発揮されます!笑

最初は、菜穂子の片想い

軽井沢で、絵を描いていた菜穂子の飛ばされた真っ白なパラソルを、偶然二郎が「ブラァボー!ナイスキャッチ!」することで二人は再会します。

ちょっとセリフを書き起こします。↓

菜穂子「ブラァボー ナイスキャッチ」

菜穂子の父「やあ失敬失敬。キミ怪我は」

二郎「いいえ。どうぞ」

菜穂子の父「ありがとう。借り物を無くすところでした」

二郎「ではこれで」

菜穂子「お父様。私失礼な事言っちゃった」

菜穂子の父「なあに。良い青年だ。同じホテルだからお礼を言う機会はあるさ」

最初は二郎は、菜穂子が「あの時の少女」だったとは気付きません。菜穂子のほうは、この時すぐに気付きます。

まず風が吹く前に、二郎と菜穂子の父親がすれ違うのですが、その直前に菜穂子は森から歩いて出てきた二郎を丘の上から見て、微笑んでいます。この時には、まだ菜穂子は気づいていないと思います。ただ、思っていたでしょう。

「あ、あの人、なんだか私の”王子様”に似ているな」と。

すれ違った後も、無表情で目で追います。この時は「あの似てる人が、本当にあの人だったら…」と思っていたのでしょう。

そして偶然そこに強風が吹き、パラソルは二郎の元へ。パラソルを捕まえようともがいている二郎を見ながら、ああ、本当にあの人だ!と、菜穂子はほんの一瞬驚いた後、とても嬉しそうな顔をします。パラソルを「ナイスキャッチ」した二郎と、昔自分の帽子を「ナイスキャッチ」した、あの時のヒーローが自分の中で一致したのです。

それで、思わず嬉しくなって叫んでしまったのが「ブラァボー!ナイスキャッチ!」…あの時とほぼ同じセリフです。

その後、二郎が去ってから菜穂子は、

「お父さま、私 失礼なこと言っちゃった」

と後悔している様子を見せます。今の私たちの感覚ではあまりパッとしないのですが、当時はお礼としてはちょっとカジュアルすぎたのでしょう。とくに富裕層のお嬢様の言動としては、あまりに軽はずみだった。

その日の夕飯時に、二郎の方を見て確認。「やっぱりあの人だ!」と(セリフでは語らないものの)…にっこりしています。ちなみに風立ちぬの絵コンテを見ると、レストランで二郎を見るシーンで(お変わりになってない)という心情描写が書き込んであります。

この時点でお互いの認識は…

  • 菜穂子
    →「あの時に助けてくれた私のヒーローだわ!こんなところでまた出会うなんて、運命に違いない!!」
  • 二郎
    →無(何も考えていない)

はい、二郎にとって、菜穂子はまだ「無」です。

傘を渡した際に、「美しい女性だな〜」くらいには思っているかもしれませんが、昔彼女を助けたことなどすっかり忘れています。

菜穂子の方は(この後彼女自身が語るように)、二郎は「ヒーロー」であり、憧れの存在、もっと言えば、ずっと想っていた恋の相手なのに。

夕飯時に目が合っても、二郎が(震災時のことを)覚えているような様子はない。それに菜穂子も気付きます。

そこで、ここから菜穂子は二郎を「落とす」ために試行錯誤します。

魔女的な「おびき寄せ」

翌日、菜穂子は、森の入り口に「罠」を仕掛けます。

二郎の散歩道から見える場所に、これみよがしにキャンバスと白い傘を置きます。

そして二郎が菜穂子に気付き、森の中にやってくるのを待ちます。

これ、ただ純粋な心で「泉に祈ってるだけ」なはずがありませんね。だったら入り口にキャンパスを放置したりしない。

まんまと二郎が罠にハマって(笑)、森の中までやってくると、

「泉に祈っていた」と言いながら二郎を見つめながら近づいて行きます。

森の中で二郎がやってくるのを見て、泣きそうな顔になる菜穂子。その後二郎が話しかけようと歩いて近づくと、菜穂子はバッと後ろを振り返り顔を俯ける。

まずいところに来てしまったか、と二郎は気まずくなり
「あの、僕戻ります」
と急いで立ち去ろうとする

菜穂子は急いで
「行かないで下さい!今泉にお礼を申しましたの。あなたがここに来て下さるように、お願いしていたのです」
と話しながら二郎に歩み寄っていく

瞳を潤ませながら
「貴方は少しもお変わりになっていませんね。あの時のまま。」
涙を流す
「…震災の時、本当にありがとうございました。ずっとお会いして、お礼を言いたかったの」

「あっあの時の!」

おじぎする菜穂子
「里見菜穂子と申します」

おじぎをして
「堀越二郎です」

ジブリ解説でも有名な岡田斗司夫さんが言うには、これは「魔女の儀式」に近いうえに、目を合わせながらだんだんにじり寄っていく様子の描き方は「普通はしない、これはホラー映画の描き方をあえてしている」と指摘していて、なるほど!と思いました。

その後、菜穂子にとっては願ってもいない土砂降りの大雨が降り出します。

菜穂子の一人勝ちアピールタイム

大雨に降られながら、菜穂子と二郎は「相合傘」状態に。必然的に距離は近くなり、ここから菜穂子は怒涛のスピード感で二郎を落としにかかります!

これ、一見ただ「あれからこんなことがあって、あんなことがあって」と、「会ってなかった期間の説明」に見えるのですが…

よーく見てほしい!菜穂子がすごい!笑

強い雨の中を歩きながら、パラソルの中で
二郎「大丈夫ですか?」

菜穂子「はい」

菜穂子「あなたの居所が分かったのは、お嫁に行く2日前だったんです。お絹、泣いて喜んでいました。」
二郎の目を覗き込みながら
菜穂子「二郎さんはお絹と私の王子様だったの」

驚いたように菜穂子の目を見て
二郎「王子様?」

二郎の目を見つめながら
「そう。白馬に乗った王子様に見えました」

二郎が目線を上にしながら
「この傘、漏れますねぇ」

前を見ながら
「平気です。お絹に教えてあげなきゃ。」
再度二郎の方を見ながら
「あの人、こないだ2人目の赤ちゃんを産んだんですよ」
前を見て
「とても可愛い赤ちゃん。」

「絵が濡れちゃいましたね」

「ええ。このまま記念にとっておきます」

「ほら、空が明るくなりました」

「わー!…あっ、乾いています」

菜穂子は、大雨で相合傘になることまでは予想できていなかったかもですが、きっと二人きりで話せるタイミングにどんなことを話そうか、めちゃくちゃ考えていたはずです!

それくらい、伝える内容と順番に無駄がない。笑

まず、お絹のことを話し始めます。

1番に伝えたいのは「お絹はもう人妻だということ」。

なぜそれを伝えないといけなかったのか?…それは、二郎の中からお絹という自分のライバル(恋敵)を消し去るためです。

あの震災の時、実は二郎がときめいていたのは、ちびっ子菜穂子ではなく、大人の女性であるお絹の方でした。

しかも実はこの二人「両思い」です。

お絹はずっと二郎のことを想い、その証拠に二郎の所持品を大切に持ち続けていたわけですが、結局別の人との結婚が決まってしまった。しかし自分の結婚2日前に二郎の居場所を知ってしまった。

震災時に貸したものが届けられていた時、二郎の脳裏によぎったのは「お絹の後ろ姿」です。菜穂子のことはチラとも記憶に出てきません。

その後、二郎とお絹は会えずに終わりますが、お絹的にも「もう(自分が運命の相手だと信じていた)二郎さんに今更会ったところでどうしようもない」と言うことがわかっていたからこそ、届けた際に二郎が留守だとわかっても、待たずにすぐに帰ってしまったのでしょう。それは、自分の結婚へのケジメでもあります。

この「恩人にお礼を伝えに来たはずなのに、その人を待たずに(荷物だけ渡して)帰った」という矛盾からも、お絹がどれだけ(結婚直前でも)二郎のことを本気で想っていたのかが伝わります。

本気じゃなかったら「恩人にお礼を言う」という本来の目的を見失わないはずです。それをせずに帰るという、かなり失礼なことをしてしまうほど、お絹には二郎に対して「お礼を言う」ことよりも意識してしまう何かがあった。

もしあの時、二人が再会していたら…物語はひょっとしたら違う結末を迎えたかもしれませんね。

さて、間近でお絹と過ごしてきた菜穂子は、お絹がどれだけ「本気」だったかもちろんわかっています。

そして同時に、軽井沢で二郎と再会した時に、(自分はすぐにわかったのに)自分を認識できなかった二郎を見て、

あの時、二郎もまた(菜穂子のことなど視界に入らず、覚えていないほどに)お絹を見ていたのだ

と悟ってしまうのです。

しかし、菜穂子は強い。そんなことではへこたれません。

「だから何?もうお絹は結婚したんだし、この出会いはきっと私の運命。」と、猛アピールをすることに決めました。

二郎を手に入れるため…ついた「嘘」

菜穂子は、大雨のパラソルの下で

お絹、泣いて喜んでいました。」と言いますが、それが本当だったかは疑惑が残ります。

というか、きっとでしょう。

泣いたのは事実なのでしょうが、本当に「喜んで」いたわけがない。

ずっと想っていた人の居所がやっとわかったのに、自分は結婚が決まってしまっていてもうどうしようもない。そんな時には、ただ「悲しくて泣く」もしくは「悔しくて泣く」しかないでしょう。「2年も待ったのに…なぜこのタイミング」と。

しかし、ここで菜穂子が「お絹、泣いていました」とだけ言ってしまったら…二郎の中でお絹の存在が大きくなってしまう。菜穂子はそんなことはしたくない。そこで、「泣いて喜んでいた」と、まるでただの「大恩人が見つかって喜んでいた」という雰囲気に仕立て上げたわけです。

「お絹にとっては、二郎さんはヒーローであり、王子様であり、でも恋愛対象だったわけではない」と伝えているわけです。

う〜ん、菜穂子、策士!!

ライバルは蹴落とされた。さてこの男をどう落とすか

そして菜穂子は続けます。

「二郎さんはお絹と私の王子様だったの」

このセリフ、なんと菜穂子はパラソルの下、二郎の目を覗き込みながらほぼゼロ距離で言います。とんでもない女です。(褒めてる)

好きな人の顔を真正面から…というか、もはや「覗き込んで目が合うようにして」ゼロ距離で見つめるなんてこと…、普通はできません。どうしても照れて目線を外してしまうはず。

でも…菜穂子はやってのける。

これが菜穂子のすごいところです。

策士としては一流だし、それを実現させる肝っ玉も座ってます。もう、アッパレです!!

ライバルの絹子を除外した後に「私には、あなたに特大の好意があります」ということをスマートに伝える。

…でも「お絹との連名」にしておくことで、初対面としては重すぎず、カジュアルに「ちょうどいい温度感で」伝わるように。

しかもその前の泉のシーンで、「あなたは少しも変わっていませんね」と伝えてあるので、今でもあなたは私にとって白馬の王子様ですというメッセージも暗に伝えているんです。

こういうところからも、菜穂子の賢さ(頭の回転の速さ)と、強気な性格は(13歳のあの時から)変わっていない、という印象が残ります。

それに対して二郎は、菜穂子に超至近距離で見つめられて、照れてつい目線を外してしまう様子がちゃんと丁寧に描かれています。

気まずさのあまりに「…この傘、盛りますね」と、どうでもいい別の話題に移そうとしてしまう。

しかし菜穂子のターンはまだ終わっていない!!!

「平気です。…お絹に教えてあげなきゃ」

雨漏りなんて今はどうでもいい!私(菜穂子)には、二郎さんにまだ伝えなきゃいけないことがある!!それが…

「あの人、こないだ2人目の赤ちゃんを産んだんですよ」

もうお絹には子供もいて、そっちの家庭でうまくやっているんだよ、ということ。これは「とどめ」ですね。

その子供がどんな子かなんて、二郎にはどうでもいいはずなのに「とても可愛い赤ちゃん」と無駄なことまで教えます。

これで、お絹と二郎の間にあった「なにか」を完全に消そうとしたわけです。

さすがに、子供までいるとなってはどんな男でも想い続けるなんてことは、しまい。

実際、これで菜穂子の狙い通り、二郎の中から絹子は消えたのでしょう。二人の間で絹子のことが話題に上がることも一切ありません。

大雨の中を歩くシーンは短いのですが、本当に見事でした。

  • ライバルを消す
  • 自分の好意を伝える

この2つの目的を、菜穂子は完全に達成しました。

ずっと想っていた人が目の前に現れ「運命だ!」と舞い上がりつつも、それでいてこの策士っぷり。

やはり菜穂子は恐ろしい女です。笑

この会話を経て、意識せずにいられる男なんていない

美しい女性に「王子様」などと言われて、思いっきり好意を伝えられて、意識しないはずがない。

ましてや相手は二郎です。ド近眼がコンプレックスで、モテずにきただろう男相手であれば、もう思いっきり好意を伝えるくらいでちょうどいい。

菜穂子から超至近距離で覗き込むように見つめられても、そちらに顔を向けられずにいるような、モテずに生きてきた二郎は、自分が「王子様」などと呼ばれた時は、つい驚いて「王子様?」と菜穂子の顔を正面から真正面に見ちゃってました。キスせんばかりの距離に、思わずすぐ目を逸らしてますが。笑

ちなみに二郎の生きた時代において「メガネ男=モテない」と言うのは、これまた岡田斗司夫さんの動画で知りました。

さらに『風立ちぬ』というのは、さっきも言ったように軍国主義の時代の話ですから、眼鏡をかけた少年というのは、それだけで、大人から見てももう不合格ですし、周りの女の子にとっても、そんな“軍人として不合格な男子”なんかは、端から目もくれないような存在なんですよ。だから、学校の中でかわいい女の子とすれ違うシーンあるんですけども、女の子達は二郎に目もくれないんですよね。

今とは違い、「メガネ男子」の価値が著しく低い時代なわけです。

だから、きっと菜穂子は、「二郎は自分にとっては王子様だけど、一般にはモテないだろう」というのも客観的になんとなくわかっていて、それでいてこの攻撃(アピール)です。

大正解すぎて、もうぐうの音も出ません。笑

菜穂子がもし、二郎と違ってモテる男にアピールする時は、きっと…いや間違いなく、違う戦略をとっただろうな〜と思います。

その後、二郎はまんまと(笑)菜穂子に夢中になります。

夕食の約束を待っている間も、周りを見回して「まだ来ないのか」とずっとソワソワ。夜寝る時も、廊下を通る人の足音を聞いて「菜穂子さんは大丈夫なのか」としきりに気にしています。「ここが菜穂子さんの部屋だろう」と目星をつけた部屋の窓をなん度も見つめ、テラスにずっといる。笑

やっと翌日、菜穂子がテラスから顔を出して目が合ったら、「菜穂子さん!!」とめっちゃ嬉しそうな顔。

もうこの時点で、完全にホレているのがはっきりわかります。笑

なぜ、二郎を「おびきよせた」のか

ではなぜ、菜穂子は二郎を「おびき寄せる」必要があったのでしょうか?

それは、「二人きりで話がしたかったから」。…もっと言えば「父親のいないところで、二郎と話がしたかったから」でしょう。

最初に二人が再会するシーンでは、菜穂子の父親も同じ場所にいます。

パラソルが吹かれた時の立ち位置的にも、丘の上に菜穂子がいて、二郎が下の道を歩いていて、その間に菜穂子の父親がいる、という構図です。

そのため、風で吹き飛んだパラソルを渡す時も、二郎は菜穂子の父親に渡しています。菜穂子とは直接やりとりをしていない。

この構造がそのまま二人の関係性です。親が間に立たないとコミュニケーションができない。立場的なものもあるでしょうが、当時は年頃の女性がそのへんの男性とカジュアルに交流することはあまりなかった。

しかし、菜穂子は二郎と話したい。

せっかく憧れのあの人が目の前にいるのに!

女性ならわかりますが…

「この男性を狙うぞ」と決めて、実際にやりとりをするときに、父親が近くにいちゃ困りますよね。

なんなら、一番居てほしくない存在です。笑

でも、「二郎を落とすなら接近戦だ」と(無意識か意識的かはわかりませんが)読んだ菜穂子は、きっと二郎と二人きりで話す時間がほしかった。

菜穂子の父親は、心配性です

菜穂子が病気持ちなせいもありますが、菜穂子が絵を描いているところにもわざわざ様子を見にくるし、大雨が降った時には、菜穂子は「きっと父が大心配しています」と言い、その通り父親はすぐに傘を持って駆けつけています。もちろん、ホテルでもいつもそばにいます。

だから菜穂子は、このままでは父親のいないところで二郎と話をするのは難しいと考えた。

そこで、二郎の散歩ルートに、あの罠を仕掛けておいたというわけでしょう。

そして、やっと二人きりで会えた瞬間からは、すごい勢いで(二郎にはわからないようにですが)猛アピール。

どうでもいい話(傘の水漏れだとか、絵が濡れただとか)はさっさと一言で切り上げて、とにかく早く二郎に振り向いてもらうために、できる限り効率よく情報(好意含め)を伝えます。…とはいえ、「絵が濡れちゃいましたね」と言われて「ええ。このまま記念にとっておきます」と答えるなど、めちゃくちゃ頭の回転早いな!!!と思いますが。

だって、それはきっと「(この日の)記念に」…もっと言うと「あなたとあらためて再会できた記念に」と言う意味で、この大雨に降られた時間が楽しかったのだと伝えています。ここでもさりげなく、二郎に対して好意を伝えられているわけですから。すご。

また、この時の菜穂子の心情としては、

「早くこちらに振り向いてほしい」という想いとともに、

「早くしないと、お父様がきちゃう!!」という焦りもあるのでしょう。

実際、雨が上がって虹を見た後、すぐにお父様はやってきます。これで二人きりの時間は終わり。泉の前〜大雨でパラソルの下二人きりでいられた時間は、菜穂子にとって「貴重なチャンス・タイム」だったわけです。

虹を見て、ふと「生きているって、素敵ですね」と言う菜穂子。

このセリフを言った直後、ふと一瞬菜穂子はなんとも言えない表情をします。これはきっと本心です。

当時の難病である結核を、若くして患った自分。「自分が生きる意味はなんだろう」と、落ち込む日もあったでしょう。そんな中で、憧れの二郎と再会できた。それが菜穂子にとっては本当に輝くような奇跡であり、これからを生きる希望の光になったのでしょう。

その後、傘を持ってやってきた父親に「紹介します」と言って菜穂子は二郎を父親に紹介します。

ここでやっと「正式に」、二郎と「出会ったこと」または「知り合いになったこと」を、父親に報告もしているわけです。これで、今後二人が道端で話していても、父親が「何処の馬の骨だ」と眉をひそめることはないだろうと…。これも、菜穂子なりの今後への布石です。

その日の夜は「夕飯を一緒に」と約束していたものの、菜穂子は体調を崩して寝込んでしまいます。熱を出してしまったのは、菜穂子の計算違いでした。本当は、この会食でさらに打ち解け合うはずだった…。

そしてこの時も、菜穂子の父親が代わりに二郎にキャンセルを伝えて終了です。

紹介こそしてもらったものの、この時点ではまだ「父親を仲介して」でないと、二人はコミュニケーションが取れていません。また二郎が「お大事にとお伝えください」と言っても、それに対して父親は「じきに医者が来ますので、これで。」と…「伝えます」という一言を言わない。なんとなく、冷たいと感じた人もいるのではないでしょうか。

最初、二人が直接やりとりできたのは、やはり「奇跡的なチャンスタイム」だったことが強調される瞬間です。

この「父親のいないところで…」という点ですが、根拠もあります。

まず1つ目は、最初に出会った日、夕食の場面で菜穂子が「二郎=震災の時に助けてくれた人」だと、気づいていながらも父親に話していないことです。

二郎を見つめていたら父親に「どうしたんだい?」と声をかけられますが、「ううん、ほらパラソルをつかまえてくれた人」とだけ答えます。

普通、気づいたら話しますよね。「あの方、震災の時に助けてくれた人なのよ」と。

でもそれを話さないのは、やはり菜穂子がとても賢い女性だからです。

ちょっと考えると「震災の時に世話になったことを父親に話した方が、父親は最初から二郎のことを認めるのでは?」と思うでしょうが、

父親に言いたくなかったのは、きっと自分が二郎のことを「運命の相手」だと感じていることを、父親に悟られたくなかったからでしょう。悟られたら、ただでさえ過保護なのにさらに拍車をかけてしまうかもしれない。

2つ目の根拠は、二人が父親に「結婚を前提にしたお付き合いを認めてもらう」までは、テラス越しのやり取りしかできていないこと。

菜穂子の紙飛行機

二人で雨の中で話してからは、菜穂子は体調を崩し、その後ずっと部屋の中にいました。菜穂子は一見元気そうに見えましたが、一応父親に部屋の中にいなさいと言われたのでしょう。

そのため二郎は、菜穂子とテラス越しにコミュニケーションをとります。二人きりの世界みたいになってますが、ドイツ人のおじちゃんカストルプは二人の様子をニコニコしながら見守っています。

こんなふうに、菜穂子と二郎がお付き合いを認めてもらうまでに「二人きり」で話す機会は、ほぼ与えられていなかったのです。

二人が結婚を決めるまで、二人のコミュニケーションらしいコミュニケーションといえば、あの雨のなかでの話と、あとはテラス越しに遊んだだけ。

自分の父親も、そして二郎も、どんな人物なのかを把握したうえでの菜穂子の戦略は、自分の体調悪化などの計算違いはあったものの、みごと実を結んだわけです!

プロポーズ
↑菜穂子にプロポーズする二郎。

まとめ

ここまでで、二郎のハートを射止めるにあたって「菜穂子がいかにすごい女性であるか」を語ってきました。

女性目線で考察・分析したわけですが、菜穂子の凄さはただただ計算高いってところではありません。

チャンスをものにする(生み出す)ための行動力、そして頭の回転の速さ、そしていざという時の度胸。その全てが揃っているからこそ、女性としても色々考察した上で「すごい」と思わされます。

だから、菜穂子の行動を、「したたか」、「計算高い」、「怖い」などと単純なマイナス面として評価してしまうのは短絡すぎる気がします。

森のわな

しかもすべてが、軽井沢の一連のシーンにちゃんと描かれているんです。

宮崎駿監督は、菜穂子をただの理想の女性像にするのではなく、その中に「女性のすごさ・(宮崎駿関東の言葉でいうところの)おそろしさ」、「女性には敵わない」ということを描きこんでいます。(菜穂子だけでなく、ジブリに登場するメインの女性キャラはそういう傾向があります)

だからこそ、菜穂子は、女性がうんざりするような「男性のロマンを押し付けられたヒロイン像」ではない。むしろ、とても主体的ですよね。

例えば、菜穂子は、男性がよく描く(&女性がうんざりする)ような「自分の美しさに気づいていない美女」ではないですよね。もはや、思いっきり自分の美貌に自覚的だし、しかもちゃんと活用もしています。もはや潔い。(じゃないとあんな至近距離で意中の男性を見つめません)

その「主体性」が分かりやすく描かれないから、気付かれないだけで…もう、軽井沢では二郎なんて手の上で転がされてますから。

男性からしたらめちゃくちゃ怖いかもしれませんが。笑

その転がし様が、あまりにも鮮やかに、しかし丁寧に(わからないように)描かれているからこそ、女性が見ても「なんてすごい人だ。」と呆然とするしかない。笑

ただ、全ての女性がこうではない。

もっと言うと、こうなれたらいいって思うけど、こうはなれない。恥じらいとか、照れとか、舞い上がりとか、調子のいい楽観主義とか、逆に過度な不安とか、プライドとか…そういうものでなんかこじれて、上手くいかないんですよね。笑

そういう意味では、宮崎駿監督は「ジブリ映画の中で女性を完璧に描きすぎている」というのは、あるかも。

二郎と菜穂子のキス

だから菜穂子の戦略を「ずるい」で片付けるのも、とても浅い。女性が、二郎を落とすまでの菜穂子に対して感じるものは、もはや「羨望」です。

女性から見ても、菜穂子には敵いません。

だから、恋敵には絶対になってほしくないタイプです。笑

あ、でも女子会にいてほしいし、恋の相談はしたいですね。浅い関係ならはぐらかして教えてくれなさそうだけど、もし菜穂子の言語化能力が優れていれば、素晴らしいアイデアくれそう。笑

 

…そういうわけで、しっかり考察したのであれば、菜穂子のことを嫌いになる女性はいないだろうと確信しています。

さらに物語の後半では、女性が共感できる菜穂子の苦悩も十分に描かれ、菜穂子は逆に女性視聴者の「共感」を集めることにあります。

ここまで菜穂子は「最強の独身女性」として、意中の男性のパートナーになるためにものすごくスムーズにことを運び、結婚まで漕ぎつけたわけですが、

「結婚後(まあ正確には婚約後ですが)の菜穂子の人生」は心労が多い。

もうすでに1万字を超える熱量で考察してきたのですが…、物語の後半の考察に続きます。